2016年07月17日
きょうも、ビッグツーで
署名をお願いしております。
午前、 10時から11時
午後、 4時から6時
昨日は、署名して下さる方が引きも切らず、12時までやりました。
午後からは、また別の仲間が立っております。
今回のこの件、巨大クルーズ船用の桟橋建設と西原半島の大規模開発、これが良くない
ということは、笠利に住む兄もコトの重大性を良くわかっていて、
「おまえな、芦徳でこれを止めないと奄美は大変なことになる。なにがなんでもがんばれ

(もちろん方言でしゃべってます)
と、熱烈支援を受けてます。
そうですよ、芦徳のため、奄美のため、汗をかいてますよ。
町長さん、龍郷の発展を考えるのは結構ですが、方法が間違ってます。
早く、気づいてください。
2016年07月16日
看板はかわいいけど、深刻な問題。
倉崎海岸への曲がりっぱなに立ててきました。

幼な子を二人、お腹には3人目を宿しているお母さんが描いてくれました。
深刻な問題ですよね。
大気汚染もそうだし、治安の問題もあるし。
ご主人は海の仕事をしてますから、生活の不安も有ります。
芦徳の婦人会、子ども会は真剣に悩んでいます。
そして、もちろん大反対です。
この海の先っぽ、 あの半島より大きなクルーズ船なんて!
きょう、ビッグツーで署名お願いに立ちます。
午前10時から11時まで、お昼は4時から6時まで。
よろしくお願いします。

幼な子を二人、お腹には3人目を宿しているお母さんが描いてくれました。
深刻な問題ですよね。
大気汚染もそうだし、治安の問題もあるし。
ご主人は海の仕事をしてますから、生活の不安も有ります。
芦徳の婦人会、子ども会は真剣に悩んでいます。
そして、もちろん大反対です。
この海の先っぽ、 あの半島より大きなクルーズ船なんて!
きょう、ビッグツーで署名お願いに立ちます。
午前10時から11時まで、お昼は4時から6時まで。
よろしくお願いします。
2016年07月15日
2016年07月14日
海辺の散歩
一日、駆けずり回って~のワサビとお散歩。
見慣れた浜辺が少しづつかわりゆく。


夜、超ひさしぶりに缶ビール一本開けた。 後半、苦くなって残してしまったが、
爆睡できた
きょうは、芦徳の歴史のお勉強会します。
琉球国からノロで派遣されて芦徳に来た御子孫のお話です。
このお方、趣味はお墓参りだそうです。
見慣れた浜辺が少しづつかわりゆく。
夜、超ひさしぶりに缶ビール一本開けた。 後半、苦くなって残してしまったが、
爆睡できた

きょうは、芦徳の歴史のお勉強会します。
琉球国からノロで派遣されて芦徳に来た御子孫のお話です。
このお方、趣味はお墓参りだそうです。
2016年07月13日
小さな畑の元気な葉っぱたち
夏のグッタリした花壇の中で、ここだけは元気もりもり

紫蘇とバジル
青々として ‘一服の涼’ みたいな
あまり虫もつかないし、最初に元肥さえ入れておけば、次々と繁って楽なモンです。
「芦徳」=芦徳住民有志のホームページ、クルーズ問題掲示板に「竜宮城」さんからの書き込み。
海外で「芦徳」を見ている。「芦徳暮らし(あしょぐらし)」の歌詞を改めて噛み締めて欲しいものです・・・
と結んでありました。
そうですね、何気なく口ずさんでいたこの歌詞が、芦徳のこころなんだなあと思いました。
ワタクシは Jターン者ゆえ、作詞の中原正光さんを知りませんが、
芦徳の人と風景をを心から愛していたんでしょうね。

アリアケカズラ・・・ 花言葉
恋に落ちる前、 楽しい追憶、 永遠の美

紫蘇とバジル
青々として ‘一服の涼’ みたいな
あまり虫もつかないし、最初に元肥さえ入れておけば、次々と繁って楽なモンです。
「芦徳」=芦徳住民有志のホームページ、クルーズ問題掲示板に「竜宮城」さんからの書き込み。
海外で「芦徳」を見ている。「芦徳暮らし(あしょぐらし)」の歌詞を改めて噛み締めて欲しいものです・・・
と結んでありました。
そうですね、何気なく口ずさんでいたこの歌詞が、芦徳のこころなんだなあと思いました。
ワタクシは Jターン者ゆえ、作詞の中原正光さんを知りませんが、
芦徳の人と風景をを心から愛していたんでしょうね。
アリアケカズラ・・・ 花言葉
恋に落ちる前、 楽しい追憶、 永遠の美

2016年07月12日
じいじぃ
名瀬の小浜町に会社があったときから、ずーっとじいじぃはお隣さんでした。
会社が鳩浜に移転すると、じいじぃはばあばぁと子供たちと一緒に隣に引っ越してきました。
高齢になり視界が悪くなったといって運転免許証をさっさと返還してしまったじいじぃ。
毎朝、会社の周辺からパチンコ屋の周辺、道路までゴミ拾いをしていつも綺麗にしてました。
会社の駐車場のちょっとした隙間に畑を作り、

水は、屋根を伝ってくる雨水を溜めて

そんな几帳面な爺々。
自転車で歯医者に行って帰り道、交通事故で亡くなってしまいました。
その一報を聞いたとき、茫然としてしまいました。
あまりにも酷すぎます。
若いときから手塾を活かしての高倉作りが趣味でした。



丸い柱は四角い木(廃材)を拾ってきて削り削り、気の遠くなるような作業をコツコツコツコツ。
屋根のカヤは、冬の枯れたススキをためて干してはたいて、コツコツコツコツ。
長男坊のしゅん君は
「ワンは今まで一度も父ちゃんに怒られたことが無い。姉ちゃんは帰りが8時過ぎたときに怒られた。
その一回きり、本当にやさしかった」
そんな超やさしい爺々、 安らかに。
会社が鳩浜に移転すると、じいじぃはばあばぁと子供たちと一緒に隣に引っ越してきました。
高齢になり視界が悪くなったといって運転免許証をさっさと返還してしまったじいじぃ。
毎朝、会社の周辺からパチンコ屋の周辺、道路までゴミ拾いをしていつも綺麗にしてました。
会社の駐車場のちょっとした隙間に畑を作り、
水は、屋根を伝ってくる雨水を溜めて
そんな几帳面な爺々。
自転車で歯医者に行って帰り道、交通事故で亡くなってしまいました。
その一報を聞いたとき、茫然としてしまいました。
あまりにも酷すぎます。
若いときから手塾を活かしての高倉作りが趣味でした。
丸い柱は四角い木(廃材)を拾ってきて削り削り、気の遠くなるような作業をコツコツコツコツ。
屋根のカヤは、冬の枯れたススキをためて干してはたいて、コツコツコツコツ。
長男坊のしゅん君は
「ワンは今まで一度も父ちゃんに怒られたことが無い。姉ちゃんは帰りが8時過ぎたときに怒られた。
その一回きり、本当にやさしかった」
そんな超やさしい爺々、 安らかに。
2016年07月11日
町長室にて
「申し入れ書」出してきました。

報道陣も沢山です。
「申し入れ書」の内容は「芦徳」ホームページ=(芦徳住民有志のホームページ)
あるいは、「龍郷湾を守る会」のブログで見ることができます。
徳田康光龍郷町長

あしとくてくてくオープンガーデンにお越しくださったときに撮った写真です。
大賑わいの芦徳に感激しています。
そのとき、語っていたこと・・・
地域住民から立ち上がった行事は成功する。行政が立ち上げるとなぜか衰退する。
このようにオープンガーデンが賑わっていることで龍郷町としても後押ししたい。
担当者を沖縄南城市に視察にやることを約束しますよ。
と、ワタクシに約束してくださいました。そして実際に南城市に担当者が視察に行ってます。
今、思い起こせば、このときもうすでに町長の「腹の中」にはクルーズ船誘致があったんですね。
(1月に知ったと、りゅうゆう館での発言)
なんたること!
シマおこしとは、地域の活性化とは私達住民と連携して知恵を出し合って進めていくものだと
ワタクシは心から町長を信じていました。
ロイヤルカリビアン社のウソが発覚してからもなお、推進するようなら・・・
龍郷町に希望はない。
報道陣も沢山です。
「申し入れ書」の内容は「芦徳」ホームページ=(芦徳住民有志のホームページ)
あるいは、「龍郷湾を守る会」のブログで見ることができます。
徳田康光龍郷町長
あしとくてくてくオープンガーデンにお越しくださったときに撮った写真です。
大賑わいの芦徳に感激しています。
そのとき、語っていたこと・・・
地域住民から立ち上がった行事は成功する。行政が立ち上げるとなぜか衰退する。
このようにオープンガーデンが賑わっていることで龍郷町としても後押ししたい。
担当者を沖縄南城市に視察にやることを約束しますよ。
と、ワタクシに約束してくださいました。そして実際に南城市に担当者が視察に行ってます。
今、思い起こせば、このときもうすでに町長の「腹の中」にはクルーズ船誘致があったんですね。
(1月に知ったと、りゅうゆう館での発言)
なんたること!
シマおこしとは、地域の活性化とは私達住民と連携して知恵を出し合って進めていくものだと
ワタクシは心から町長を信じていました。
ロイヤルカリビアン社のウソが発覚してからもなお、推進するようなら・・・
龍郷町に希望はない。
2016年07月09日
ちょっと、あんたっ!
「
生きとるわけ~?」
と心配する友。
「ごめんね~、それどころじゃないのよ~」
一人ひとりに丁寧に説明をして、賛同していただけたら「署名おねがいします」と

書いていただいています。
なぜ、ワタクシがそうしているのか?
2012年に「クロマグロ養殖場建設反対」で芦徳は「自然を守る」ということで反対運動をしました。
結果、芦徳は手付かずの自然とともにあります。
そのとき、芦徳を守るために沢山の方々の署名を頂きました。
その方々の思いを今も大事にしています。
一度壊された自然が元に戻らないのはみんな知っているはずです。
「龍郷湾を守る会」のブログからでも用紙は印刷できます。
ネット署名もできます。 よろしくお願いします。
さて、
ワタクシがどんなに忙しくても花は咲いてます。


サガリバナは毎晩咲いてます。




左上、夜来香(イエライシャン)の花です。
今年はすっごく花が多いです。
と心配する友。
「ごめんね~、それどころじゃないのよ~」
一人ひとりに丁寧に説明をして、賛同していただけたら「署名おねがいします」と
書いていただいています。
なぜ、ワタクシがそうしているのか?
2012年に「クロマグロ養殖場建設反対」で芦徳は「自然を守る」ということで反対運動をしました。
結果、芦徳は手付かずの自然とともにあります。
そのとき、芦徳を守るために沢山の方々の署名を頂きました。
その方々の思いを今も大事にしています。
一度壊された自然が元に戻らないのはみんな知っているはずです。
「龍郷湾を守る会」のブログからでも用紙は印刷できます。
ネット署名もできます。 よろしくお願いします。
さて、
ワタクシがどんなに忙しくても花は咲いてます。
サガリバナは毎晩咲いてます。
左上、夜来香(イエライシャン)の花です。
今年はすっごく花が多いです。
2016年07月05日
砂漠のバラ
真夏の太陽が大好き

夏花壇で元気モリモリなのはこの子だけ。
キョウチクトウ科、学名アデニウムですが、砂漠のバラの方が馴染みがありますね。
夏花壇で元気モリモリなのはこの子だけ。
キョウチクトウ科、学名アデニウムですが、砂漠のバラの方が馴染みがありますね。
6月28日の「大型クルーズ船問題」の龍郷町長の受け答えを聞いてからの今日まで
庭仕事ができてません。
頭の中は・・・海が死ぬ、聖地コウトリ浜が汚される、大気が汚される・・・とか
そんなことばかりがグルグル駆け巡り何も手につきません。
町議8人と町長は誘致の方向だという事前情報は入っていましたが、まさかね

直に町長の返答を聞いてからは、悲しさと怒りが交互にこみ上げて、ナンともカンとも悔しい。
しかし、 私達芦徳住民は・・・覚えてますか? 芦徳の底力!
「クロマグロ養殖場設置反対」で芦徳はひとつになって反対運動をしたのです。
手付かずの自然の尊さを一番知っているのです。
そりゃあね、今回は家庭の事情(!)で同じ考えでない人もいるでしょうが、心の中では
「本当はこのままであってほしい」と思っているはずです。
「芦徳」のホームページを見てください。
芦徳を、奄美を愛している人たちがいかに多いか。
また、しーまブログで「龍郷湾を守る会」が立ち上がりました。
若い子達が危機感をもって情報を発信しています。
役場勤務の若者にも龍郷の未来を真剣に考えている人はいるはず。
声を上げてください。
2016年07月04日
コウトリバッケ
明治から大正・昭和まで続いた有名な利きユタ。
コウトリ浜の農耕地に住んでいたからコウトリアンマで名を知られていた。戸籍名は
苗字が里で名がカ子である。呼び名はタケソと呼ばれていた。
夫の名は里七千代。笠利の喜瀬出身。娘のフデが3,4歳の頃コウトリに移住した。
ユタになるときは、夕方コウトリの山頂まで夫の七千代とゴザ等の道具を持参し、夫は
家に帰り終夜は一人山中で過ごし翌朝帰るという生活が当分続いたという。
夜中に白い髪の翁が現れて神事を教えてくれたと身内のものに話していたという。

現在もこの浜には鳥居らしきものが残っているらしい。
「奄美大島諸家家計譜集」著者の亀井勝信氏が「龍郷町誌」に書き残してある。
コウトリアンマの名言。
大山麟五郎(郷土史家)の話として、コートリアンマの家族が病気になり、大山愛熊医師
(大山麟五郎氏の父)に診療を依頼された。医師はカトリック信徒でもあるので、あなたは
ユタであればユタの治療をしたらといわれたら、コートリアンマいわく、「人間の身体の病気は
医師が治し、心の病は私が治す」と回答されたという。
あの時代に医学と心理を判然とわきまえた名言ではないだろうか・・・と亀井勝信氏が
書いてありました。
ワタクシも聞いたことがあります。
コウトリ浜にはコウトリバッケというおばあちゃんが一人で住んでいて、医者が治せない
病気を治してくれていた、そんな伝説の有る浜だよ。。。って。

(写真は“蒼い蒼い島暮らし”から)
伝説の残る浜、海洋レジャー業者が観光客を案内する浜。
2015年「世界の新種トップ10」に選定された、アマミホシゾラフグのミステリーサークル
があり、海底の砂地ではフグたちがせっせと産卵場所をつくっています。
こんな貴重な海を残してこそ、龍郷町の価値があります。
気づいて、トップリーダーたる町長、そして8名の議員達。
コウトリ浜の農耕地に住んでいたからコウトリアンマで名を知られていた。戸籍名は
苗字が里で名がカ子である。呼び名はタケソと呼ばれていた。
夫の名は里七千代。笠利の喜瀬出身。娘のフデが3,4歳の頃コウトリに移住した。
ユタになるときは、夕方コウトリの山頂まで夫の七千代とゴザ等の道具を持参し、夫は
家に帰り終夜は一人山中で過ごし翌朝帰るという生活が当分続いたという。
夜中に白い髪の翁が現れて神事を教えてくれたと身内のものに話していたという。
現在もこの浜には鳥居らしきものが残っているらしい。
「奄美大島諸家家計譜集」著者の亀井勝信氏が「龍郷町誌」に書き残してある。
コウトリアンマの名言。
大山麟五郎(郷土史家)の話として、コートリアンマの家族が病気になり、大山愛熊医師
(大山麟五郎氏の父)に診療を依頼された。医師はカトリック信徒でもあるので、あなたは
ユタであればユタの治療をしたらといわれたら、コートリアンマいわく、「人間の身体の病気は
医師が治し、心の病は私が治す」と回答されたという。
あの時代に医学と心理を判然とわきまえた名言ではないだろうか・・・と亀井勝信氏が
書いてありました。
ワタクシも聞いたことがあります。
コウトリ浜にはコウトリバッケというおばあちゃんが一人で住んでいて、医者が治せない
病気を治してくれていた、そんな伝説の有る浜だよ。。。って。
(写真は“蒼い蒼い島暮らし”から)
伝説の残る浜、海洋レジャー業者が観光客を案内する浜。
2015年「世界の新種トップ10」に選定された、アマミホシゾラフグのミステリーサークル
があり、海底の砂地ではフグたちがせっせと産卵場所をつくっています。
こんな貴重な海を残してこそ、龍郷町の価値があります。
気づいて、トップリーダーたる町長、そして8名の議員達。